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ギリシャからイタリアへ・ワイン文化のオデュッセイア的な旅

古代ギリシャのワイン文化

古代ギリシアは、ワインの歴史の上で重要な役割を果たした。この地で日常・宗教生活に影響を及ぼすほど、本物のワイン文化が発展しました。その証拠に、遺物および文学的な資源が残っている。詩人ホメーロスの作品は古代ギリシャにおくワインの重要な役割に関して多くの情報を提供する。

例えば、「オデュッセイア」 に古代ギリシャ人が朝食・昼食・夕食、1日に3回ワインを飲んでいたことが書かれている。ワインを作るにはかなりの土地や労働が必要なため、当代ワインは高い地位を象徴した。ミラノ大学教授のアッティリオシェンツァが著書『La stirpe del vino』(ワインの祖先)には古代ギリシャに多くのミクロクリマ(微気候)があり、それが多くのブドウ品質を及ぼしたと述べる。彼は、オデュッセウスの故郷であるイタカ島をはじめ、ヒーローたちが新しい土地に辿り着く時、ホメーロスがその地域のブドウ品種やワインを描写することも記述する。イタカ島はかなり乾燥し、小さい一方、麦やワインが豊富なように描いている。それ以外にも、ワインがオデュッセイアの中では重要な役割を果たし、魔女キルケーがオデュッセウスの仲間たちに毒入りのワインを飲ませ、豚に姿を変える時や、オデュッセウスがキュクロープスの1人ポリュペーモスにワインを飲ませて酔わせる時など、オデュッセウスの旅の間に何回も登場する。

ギリシャからイタリアへ

ギリシャやフェニキア植民地(紀元前550年)

オデュッセイアがヨーロッパワインの起源についてさらに情報を提供し、歴史上初めてイタリアワインについて書かれた地中海世界の文献である。アッティリオシェンツァが著書『La stirpe del vino』には次のように述べている


「オデュッセイアは初めてのカンパーニア州ワインの証拠である。それは植えもしないで、耕しもしないで、ただ運を天に任せることだけで、太陽や雨に恵まれている麦、大麦やブドウ、そしてそれで造られたワインが豊富であるキュクロープスの島で造られている。」


これは古代イタリアのブドウ栽培の証拠でありがなら、それは野生ブドウ、すなわち人間による少ない、または不介入のブドウを基にする栽培であったことが分かる。
従って、ギリシャ植民の前にもブドウ栽培が存在していたが、ギリシャ人がイタリア人に剪定や栽培技術、および新しいワイン文化を導入した。オデュッセウスの経路を辿り、ギリシャ人がイタリアに辿り着き,ここでワインの神、ディオニューソスの信仰を導入した。これまで個人消費のためだけに造られたワインが商品になった。そして、ディオニュソスの祭りが移入され、ローマ神話のワイン神バッコスの祭り『バッカナリア』が生まれ、ワインが食を超える象徴的・儀式的な意味を帯びてきた。

当代のイタリアブドウ品種・古代ギリシャの継承

バッカナリアがもう行われていないものの、現在のイタリアのブドウには古代ギリシャの継承の跡がまだ残っている。DNA解析によってシチリアのブドウ品種を解析した結果、ギリシャとイタリアのブドウ品種が遺伝的な繋がりを持っていることが証明された。そして、ギリシャ人入植者がイタリア南部に様々なブドウ品種をもたらしことも分かった。従って、北イタリアよりも、ギリシャの品種の方が南イタリアのブドウ品種と共通点があることは驚くべきことではない。現代DNA解析がギリシャ土着のブドウ品種はイタリアの品種と混じり、親子関係があるブドウ品種が多いことも証明した。

Jp